大阪府在住、神戸出身。
アニメーター、映像系CGデザイナーを経て、2015年からフリーランスイラストレーターとして活動。
企業案件をメインに、イラストやアニメーション制作の他、版権作品のグッズデザインやパッケージデザイン、大学や専門学校での特別講義など、独立前には思いもよらなかった仕事を経験。
2023年にはVTuber案件を担当するようになり、VShojo ironmouseの公式イラストの他、数々のVTuberモデル、メインビジュアル、アニメーション等を制作しています。
好きなものは、VTuber・声優・俳優・アニメ・アニソン・たこ焼き・チーズケーキ。
かわいくて親しみあるアニメ塗りイラスト
シンプルで目を引くイラストで、誰にでも親しみやすく、ポジティブな感情を与えられる絵柄です。
独立当初は、万人に受け入れやすいアニメタッチとして企業広告に起用されることが多く、現在もかわいらしいVTuberを担当することが多いです。
魅力的な世界観や個性を重視した表現で、人とファンを繋ぐ
その人が持つ、世界観や魅力的な個性を表現する事を重視しており、よりファンを喜ばせるお手伝いをしています。
フリーランスとして仕事をしていく中で、クリエイターとファンを繋ぐイベント運営や、有名版権作品のグッズデザインの経験をし、ファンの満足度を高めることにやりがいを感じています。
VTuber関連のお仕事ができるようになり、よりその思いが強くなっています。
メディア掲載・講演・受賞
- CG+DESIGNING[マイナビ出版]
- 京都芸術大学通信教育部×pixiv 補助教材提供
- 京都芸術デザイン専門学校 講演
- 大阪成蹊大学 講演
- バンタンゲームアカデミー 非常勤講師
- VShojo ironmouse アニメコンテスト 入賞
- もえしょく(R)プロジェクト抹茶擬人化 入選
- もえしょく(R)プロジェクト水平器擬人化 グランプリ
これまでの経歴
幼い頃から描いたり作ったりするのが好きで、表彰されることもありましたが、それ以外の勉強や運動は全然ダメな子供でした。
当時はオタクであることは歓迎されなかった90年代で、あまり人目につかないようにアニメやゲームを楽しむ学生時代でした。スレイヤーズや少女革命ウテナといった、女性が逞しく生きる作品が当時の私にとても刺さりました。
アニメ雑誌にイラストを投稿するようになり、掲載される事がうれしくて夢中で毎月何通も投稿し続けていました。
高校時代にインターネットが使えるようになり、初めてアニメやゲームの話ができる友人ができ、同人活動やオフ会を楽しむようになりました。
絵を描くことだけが得意だったので、何かしら描く仕事に就きたいと考えていました。
好きなアニメ作品の作画崩壊に大きなショックを受け「人手不足なら私がアニメーターになって、少しでも作画崩壊を減らせるのでは…?」とアニメーターを目指すようになります。
当時はまだまだインターネット黎明期で、今ほどアニメーターについての情報は得られず、どうしても描く仕事に就きたかった私は「職業として確立されてるんだから、就職さえできれば生活はできるだろう」と、思い込んでいました。
専門学校を経て、晴れてスタジオ所属のアニメーターとして働くも、その実態は過重労働に薄報酬といった過酷な労働環境。
社会人1年目から24時間以上スタジオでひたすら描くハードな職業となりましたが、四六時中アニメを描くことで画力が鍛えられ、好きなアニメ作品にも携われてとても濃密でやりがいのある楽しい日々でした。
しかし、酷使した体は口内炎が常に何個もできるほどボロボロに。今思えば、この時が一番不健康な生活でした。
同期も毎年何人も辞めていきました。
節約して食いつないでいた貯金も親の援助も尽きてしまい、とうとう私も退職することに。
厳しい現実を前に、夢だけでは生きて続けていくのは難しい事を身をもって知ります。
アニメ作画能力と、趣味でほんの少し鍛えられていたデジタル作画能力を買われて、映像開発のCGデザイナーとして就職できました。
キャラクターデザイン、イラスト、アニメーション、グラフィックデザインなど様々な制作をするようになり、企画に携わる機会にも恵まれます。
コンテの指示通りに描くアニメーターよりも自由度が高く、キャラクターをそれぞれの個性にあわせて自分の思うように表現でき、充実感がありました。
ここでの仕事も、『サービス残業』『泊まり込み』『休日出勤』もあるブラック業務でしたが、アニメーターより時間も給料もあり、生活がある程度保障された仕事環境でしたので、長く働く事ができました。
チームのコミュニケーションを大事にし、制作管理業務を任されるようにもなり、順調に昇格していきました。
結婚を機に遠距離通勤となり、しばらくはCGデザイナーの仕事を続けていましたが、『長時間通勤』『過重労働な仕事』『家事の両立』が難しく、今まで通りのコンディションで働けなくなりました。
家から通いやすい距離には、これまでの経験を活かせるようなクリエイティブ職はありません。
このままでは『昔から描く仕事に就きたかった私』も『描く仕事ができなくなった不満だらけの私と関わる人』も不幸になると思い、会社を辞めフリーランスイラストレーターを目指します。
独立するノウハウも、仕事獲得のコネも無く、このままフリーランスになってもすぐ自滅してしまうと考え、フリーランスの働き方やブログを使ったWEBマーケティングを学びながら走り出しました。
当時ブログが流行っていたこともあり、ネットを介して全国から様々な仕事を任されるようになりました。
アニメーターやCGデザイナー時代では考えられないような、仕事や人と出会えて、ネットや街中に自分のイラストが使われるようになり、好きなアニメ作品のグッズデザイン、イベント運営や講師業にも携われるようになりました。
常に順調とはいかず仕事や報酬の波はありましたが、生活を犠牲にせず充実したフリーランス生活を過ごしました。
報酬の未払いやコロナ禍による仕事の停滞を経験し、『フリーになったにも関わらず企業に依存している状況』『本当に自分のやりたい仕事ができているのか』と疑問に思い、働き方を見直していきました。
VTuberやラノベのようなイラストは、日本ではあまりに競合が多く「私には無理」と思い込んで挑戦しないままでした。
海外VTuber市場で活躍する日本人クリエイターがいると知り、「海外の大きな市場ならできるかも…」と、VTuber向けの活動を開始。
新規に『0フォロワー』から海外向けにSNSを始め、多くの個人VTuberに支えられながら成長。海外トップVTuberの仕事を獲得できるまでになりました。
VTuberの個人個人のクリエイティブを大事にする文化も後押しになり、VTuberやそのファンにも熱いリアクションで喜んでもらえ充実感を得られるようになりました。
この経験を機に『誰かの推しであるクライアントもそのファンにも喜んでもらえる事』が、自分が最大限パフォーマンスが出せる仕事なんだと再認識できました。
アニメの作画崩壊にショックを受けてアニメーターを目指してしまった事にも納得がいきます。
イベント運営では、人とそのファンと繋げる場を作り、どちらにも喜んでもらえる様子がなにより嬉しかったです。
人気作品のデザイン仕事では、クライアントはもちろんファンに失礼があってはいけないと、作品や人物の把握から、イメージカラーやモチーフの採用はもちろん、ファンが喜びそうな仕掛けに真剣に取り組んでいました。
VTuberだけに留まらず『真剣にファンを喜ばせたいクライアントとそのファン』の両方を満足させられるものを提供し続けられるよう、邁進していきます。