大阪府在住(神戸市出身)
アニメーターを3年CG映像デザイナーを10年以上経験した後、2015年に独立。
独立当初は、企業広告系をメインに実績を積み、アニメグッズのデザイン制作や講師業など幅広く経験。海外VTuberのモデル・イラスト等を担当するようになり、現在の活動スタイルへ。
クリエイティブな仕事でクライアントもそのファンも喜ばせたい。
好きなもの→ 声優・俳優・VTuber・2.5次元・アニメ・漫画・アニソン・特撮など。
メディア掲載・講演・受賞
- CG+DESIGNING[マイナビ出版]
- 京都芸術大学通信教育部×pixiv 補助教材提供
- もえしょく(R)プロジェクト抹茶擬人化 入選
- もえしょく(R)プロジェクト水平器擬人化 グランプリ
- 京都芸術デザイン専門学校 講演
- 大阪成蹊大学 講演
- バンタンゲームアカデミー 非常勤講師
- イラストレーターユニット 柿間久留乃プロダクション 主催
Vision
それぞれの未来を照らし好循環が生まれる世界を創造する
人々が熱狂する推しや好きなものは、心の疲れを癒し、前進する力を与え、ポジティブな変化を起こすきっかけにもなります。
またファンの言葉や行動により推しのさらなる活動にも繋がっていきます。
これまでの自分の経験と仕事を通して、誰かの推しとファンが喜んでくれる仕事にやりがいを感じる事に気づきました。
このような好循環を生み出す環境を支えるために邁進していきます。
これまでの経歴
幼い頃から描いたり作ったりするのが好きで表彰されることもありました。
が、それ以外の勉強運動は全然ダメな子供でした。
漫画やアニメ・ゲームが好きでしたが、当時は中学高校になってもオタクであることは歓迎されない時代で、あまり人目につかないように楽しんでいました。
スレイヤーズや少女革命ウテナといった、女性が逞しく生きる作品が当時の私にとても刺さりました。
アニメ雑誌に好きなアニメのイラストを投稿して掲載される事がうれしくて夢中で投稿し続けていました。
高校時代にインターネットが使えるようになり、初めてオタクの友人ができ同人活動やオフ会を楽しむようになりました。
絵を描くことだけが得意だったので描く仕事に就きたいと考えていました。
好きなアニメ作品の作画崩壊に大きなショックを受け「人手不足なら私がアニメーターになって、少しでも作画崩壊を減らせるのでは…?」とアニメーターを目指すようになります。
当時はまだまだインターネット黎明期で、今ほどアニメーターについての情報は得られず、どうしても描く仕事に就きたかった私は「職業として確立されてるんだから、就職さえできれば生活はできるだろう」と、思い込んでいました。
専門学校を経て、晴れてスタジオ所属のアニメーターとして働くも、その実態は過重労働に薄報酬で突然の個人事業主状態に。
社会人1年目から24時間以上スタジオでひたすら描くハードな職業となりましたが、四六時中アニメを描くことで画力が鍛えられ、好きなアニメ作品にも携われてとても濃密でやりがいのある楽しい日々でした。
しかし、酷使した体は口内炎が常に何個もできるほどボロボロに。
同期も毎年何人も辞めていきました。
節約して食いつないでいた貯金も親の援助も尽きてしまい、とうとう私も退職することに。
厳しい現実を前に夢だけでは生きて続けていくのは難しい事を身をもって知ります。
アニメ作画能力と趣味でほんの少し鍛えられていたCG技術能力を買われて、映像開発のCGデザイナーとして就職できました。
キャラクターデザイン、イラスト、アニメーション、グラフィックデザインなど様々な制作をするようになり、企画に携わる機会にも恵まれます。
指示通りに描くアニメーターよりも縛りがなく、オリジナルキャラクターをそれぞれの個性にあわせて表現できる事に充実感がありました。
ここでの仕事もサービス残業に泊まり込みや休日出勤もあるようなブラック業務でしたが、アニメーターより時間も給料も保障された仕事環境でしたので長く働く事ができました。
チームのコミュニケーションを大事にし、制作管理業務を任されるようにもなり、順調に昇格していきました。
結婚を機に遠距離通勤となり、しばらくはCGデザイナーの仕事を続けていましたが長時間通勤と過重労働な仕事と家事の両立が難しく今まで通りのコンディションで働けなくなりました。
家の近隣にはこれまでの経験を活かせるようなクリエイティブ職はありません。
このままではせっかく結婚したのに「昔から描く仕事に就きたかった私」も「不満だらけの私と関わる周りの人」も不幸になると思い、会社を辞めフリーランスイラストレーターを目指します。
商売の知恵も無くフリーになるとすぐ自滅してしまうと考え、フリーランスの働き方やブログを使ったWEBマーケティングを学びながら走り出しました。
ブログが流行っていたこともあり、ネットを介して全国から様々な仕事を任されるようになりました。
アニメーターやCGデザイナー時代では考えられない仕事や人と出会えて、WEBや街中に自分のイラストが使われるようになり、好きなアニメ作品のグッズデザイン、イベント運営や講師業にも携われるようになりました。
常に順調とはいかず仕事や報酬の波はありましたが、生活を犠牲にしすぎず充実したクリエイターを目指しました。
コロナ禍の影響で主に海外取引のある企業との仕事が途絶えていきました。
私自身も徐々に燃え尽き症候群になり目標が見えにくく、フリーになったにも関わらず企業の状況に振り回される事にも疑問を感じながら、手当たり次第走り回ってみました。
海外の大きな市場ならできるかも…と、VTuber向けの活動を開始。
SNSを新規に0フォロワーから始め、多くの個人VTuberに支えられながら成長し、海外トップVTuberの仕事を獲得できるようになりました。
個人個人のクリエイティブを大事にする文化もあり、VTuberやそのファンにも熱いリアクションで喜んでもらえ充実感を得られています。
また燃え尽き症候群になってはいけないと思い改めて自分を見直したところ、誰かの推しであるクライアントもそのファンにも喜んでもらえる事が、自分が最大限パフォーマンスが出せる仕事なんだと気づきました。
アニメの作画崩壊にショックを受けてアニメーターを目指した動機にも繋がります。
これまでの仕事では、クライアントはもちろんファンに失礼があってはいけないと、作品や人物の把握からファンが喜びそうな仕掛け提案になによりも真剣に取り組んでいました。
過去のイベント運営では、主役の方とファンと繋げる場を設けて双方エネルギーが満たされていく様子がなにより嬉しかったです。
現在VTuber関連の仕事もするようになって確信しました。
今後はVTuberだけに留まらず、真剣にファンを喜ばせたいクライアントとそのファンを共に満足させられるものを提供できるよう邁進していきます。