
はじめまして、さらえみと申します。
「さらえみblog」では、自身の活動をベースにイラストやフリーランスについて発信しています。
昔から縁の下の力持ちと言われてきました。
表立って派手に振る舞うのは得意ではありませんが、好きな事には全力を尽くします。
根っからアニメキャラクターが好きなオタクです。仕事を通して推しと共に生きる人を支えていきたいと思っています。
詳しい経歴
幼少から物を作り、学生時代にオタクへ
1982年、兵庫県神戸市に生まれました。
幼少の頃からハサミやペンを持って、物を作ったり描く事が好きでした。小学校の頃、絵画で表彰され図工や美術は良かったものの他はヒドイ成績でした。体育が一番苦手でマラソン大会は万年ビリ。
中学高校もそのまま成長して美術部に入部。高校時代は部長として卒業アルバムのデザインを担当。
手塚治虫や藤子不二雄、セーラームーンなどを見て育ち、真似た絵を描くようになっていました。
そして高校時代には、スレイヤーズをはじめキャラクターが魅力的な90年代のアニメに感化され様々なアニメに夢中になり、いわゆるオタク文化にも触れるようになりました。
今と違って当時は、時代背景と私の生活環境ではアニメやオタク文化は一般には受け入れ難い存在で、あまりオープンに出来ないまま楽しんでいました。
そんな中、夢中になった数々のアニメ作品から元気をもらい時に学び、描く楽しさも与えられました。
90年代後半からパソコンやインターネットの世界にも詳しくなり、WordでWEBサイトを作ったりマウスで絵を描いたりしていました。

住む場所関係無くつながれる、リアルには無かった広い世界に感激し夢中になっていきました。
苦労を重ねたアニメーター時代
大阪の専門学校に2年間通い、2002年からアニメーターになりました。
きっかけは作画崩壊した好きなアニメを見て「そんなに人材足りないの…!?」と思ったから。

絵が描ける仕事に就きたくて、更に好きなアニメに貢献できるならベストな仕事なのでは!?と思っていました。
その時は好きな仕事に就きたい一心でお金や生活のことは深く考えていませんでした。
むしろスタジオ所属できるだけ他の絵の仕事より安定なのでは?たとえ安くても最低限生活はできるだろうと思っていました(汗)
そして無事様々な作品を請負うスタジオに所属し、多くの作品で動画や原画を担当。
昼夜問わず働いて毎月100枚以上は作画する日々を過ごし、アニメの基礎を叩き込まれました。
これまでオープンにできなかったオタク趣味も全員嗜んで当たり前!といった環境に驚きました。
技術が身に付き昇進していった事と、なにより自分の作ったものが世の中に見てもらえる事がとても嬉しかったです。

しかし現場は非常に苦しく24時間体制で働いても賃金はバイト以下という想像を絶する労働環境でした。
約4年で親の支援と貯金が尽きて退職することになります。
ちなみに、アニメーターの厳しすぎる労働環境は現在も続いており、度々問題になっています。

デジタル技術を身に付けた、正社員デザイナー時代
2005年から映像開発会社にて、CGデザイナーとして入社。
アニメーターの劣悪環境から正社員待遇との違いに感動しました。お金が入る。休日がある。ボーナスまである。
5本以上の長期プロジェクトを通して、企画・デザイン・PCでの作画・アニメ制作・動画編集などを担当しました。
これまでの作画技術を活かすことができ、Adobe Illustratorでの作画やデジタルアニメーションの制作手法も学ぶことができました。
アニメやオタク分野ではありませんし、残業や休日出勤もあってホワイトとは呼べない環境でしたがアニメーター時代より遥かに良かったですし、キャラクター系の制作でしたので、残業も楽しみながら夢中で働いていました。
アニメーター時代には考えられなかった、一人暮らしもできるようになりました。

長く務めていく中で、新人育成やチームのスケジュール管理なども任されるようになりました。
結婚を機に地方から通う長距離通勤となり、長時間労働と家事や生活維持のバランスに無理が生じ、このまま続けていても昇格のチャンスも無いと判断し、約6年半務めたこの会社を退職することに。
仕事は大変でしたが、技術の向上に豊富な社会経験と、この時代にたくさんの成長ができたと思っています。
好きな仕事ができない苦痛を味わった3年間
やりがいのあるクリエイター職は長時間労働となる会社が多く、結婚してからどうしても家事負担が私にかかり結婚生活と仕事とのバランスに苦しみました。

短時間勤務の契約社員として別の映像制作会社へ入社しましたが、苦しみながら3年で退職。
パチンコやスロットのUIやエフェクトを制作する仕事で、キャラクターや作画に関わる業務が全く無くて生活する時間が守られていても精神的に参ってしまいました。
すぐにでも辞めたかったのですが、次の手を見つけられない事、夫が3年は継続しろと言うタイプだった事、何か行動するにしても貯金が必要と考え留まっていました(でも3年経って即辞めました)
この3年間でたとえ生活が守られていても、全く興味が無い物を作る事は私にとって非常に苦痛な事だと気づきました。
結婚して移住した地方では、キャラクターを生み出したり作画できる会社が存在しません。
かと言って、アニメーターでは生活できない。会社員でも生活とのバランスが取れない。
さらに既婚者は正社員としての転職がかなりハードルが上がる事も「お子さんは?」と必ず聞かれる事で身を持って感じました。
この2012年~2015年の3年間はあまり記憶がありません。今思えばそれだけ本当に自分に合わなかったのだと思います。
独立してブログから仕事を得るように
現状の生活スタイルのまま、好きで続けてきた絵を描く仕事・キャラクターに関わる仕事に就くために、契約社員の間に貯金をして半ば無理やり独立しました。
契約社員の前職から依頼の相談もありましたが、先述の通り苦手な業務ばかりでしたのでお断りしました。
最初は仕事が無いまま営業する一方で貯金を切り崩す生活でした。
全くコネの無い状態からブログで仕事を得る方法や事業の考え方を学び、ほとんどの仕事をインターネットを通じて全国からご依頼いただけるようになりました。
イラストのタッチがバラバラで、決してとても上手いというわけではありませんでしたが、それでもブログを使った営業でいくつも仕事をいただけた事に感動しました。
クライアントや周りからいただける嬉しい反応と、続けて仕事をいただける信頼や自身の実績に直結する責任感を肌で感じ、クリエイターとして刺激的で充実した仕事ができています。
多くのクリエイターが集うイベントやセミナーで運営や登壇する経験もでき、同じ境遇で悩む方のヒントになれた経験も味わえました。
大好きなアニメ版権商品のデザインも開始
2019年からアニメ版権商品のパッケージデザインを任されるようになりました。
イラスト業と混同されると本家アニメ作品にも迷惑がかかると思い、窓口を分けることにしました。
好きなイラストを描く仕事と、好きなアニメ作品を盛り上げる仕事もでき、まだ前途多難な部分もありますが経験の濃さから独立してよかったと思い、現在も活動を続けています。
なぜ「さらえみ」なのか?
結婚して姓が変わったこともあり本名で活動することに抵抗を感じたため、ペンネームで活動しています。
「えみ」は本名から取っており「さら」は学生時代から長くオタク活動続けてきたハンドルネームの一部を取って付けています。

昔オープンにすることができなかったアニメが好きなオタクであるということを隠すこと無く仕事ができたらと思い、このペンネームになりました。

なぜインターネットを活用しているのか?
現在ブログを中心にインターネットを活用して営業・取引をさせていただいています。
挨拶や打ち合わせで各地に向かうこともありますが、基本ネットで完結しています。
大阪在住ですが、都市部から離れた地方で制作しています。
イラストやデザイン業務は都市部でないとなかなか働き口がありません。
場所に囚われず好きな仕事に従事することをめざした結果、独立し、このスタイルになりました。
発信を通して私に興味を持っていただけた方がご依頼くださるので、大きなトラブルも無く続けることができています。

そして大阪だけでなく東京や他の地域からの仕事も受けられるのも嬉しいです。
地方で好きな仕事ができないことに諦めずに、ネットを活用して良かったです。
好きな仕事をしても自分を破綻させない働き方
好きなアニメを作れて楽しかったアニメーター時代は、2日に1度の帰宅・かなりの頻度での徹夜・バイト以下の給料・四六時中口内炎がある…という健康破綻まっしぐらな生活でした。
CGデザイナー時代は、正社員としてまともな報酬を受けられチームで楽しくキャラクター映像を制作していましたが、みなし残業体制の日々長時間労働で、結婚を機に続ける事が難しくなりました。
生活時間に合わせて仕事を変えてみたところ、仕事内容が全く自分に合わず一生この仕事をするのかと絶望的な気持ちで働いていました。
自分の健康やメンタルを犠牲にしなければ、理想の仕事に就けないのでしょうか…?
それまでの経験があるからこそ独立できている面もありますので全て否定はできません。
独立した今でも無茶な残業する事もありますが、毎回ではなくいざという時の切り札にしています。「いざという時」も心身ともにまともな状態でなければ動く事ができません。
報酬もそれなりに戴かなければまともな生活が送れませんし、そうなると次へ進む事もできません。
独立して仕事をするようになり、依頼を下さったクライアントに迷惑をかけないためにもスケジューリングやコンディションを工夫して自分を破綻させる働き方にはしないように意識しています。
クリエイターを目指す人の1つの参考になれば
独立しての仕事は会社員とは全然違います。
自分で把握しコントロールしていくために、営業方法やお金の扱いなど制作以外も学ばないといけません。
私も完璧ではありませんが、学んでいくうちに独立の知識は生きていくために役立つものばかりでは?と思うようになりました。
ずっと作る事しかしてこなかった私には「なんで今まで学校で教わらなかったんだろう」「もっと早く知りたかった」と思うものばかり。
仕事ができる技術はあるけれど『働く環境に悩んでる方』『出来るなら独立したい方』に向けて、私が身に付けた事、役に立った事が参考になればと思い、ブログ発信やイベント登壇まで機会をいただいています。

そして、私含めイラストレーター3人で作ったユニット『柿間久留乃プロダクション』では、私達が聞きたい大先輩方をゲストに、個人で仕事を続けるためのヒントを得られるイベントを開催しています。
現在は開催が難しくなってしまいましたが、個人で開催したセミナーでは7回ほどで総勢30人以上の方にご参加いただきました。
私自身も独立にあたって足りない知識を補えたのは、こういったリアルな情報と気の合う人との繋がりができたからでした。
喋るのは決して上手くはないのですが、本業の合間に「どなたかの1つの参考になれば」と勉強になった事を伝えるようにしています。
誰かの好きを楽しむ時間を創る
私はアニメキャラクターを好きになり、アニメーターになり、好きな仕事を目指して独立をしました。
好きなもの…要するに「推し」は無限に勇気や元気を与えてくれる存在。日々の英気を養い、新たなコミュニケーションを拡げるきっかけにもなります。(2020年コロナ禍の現在、特にそう感じています)
誰かが好きなものに夢中になっている姿を見かけるとこちらも嬉しくなります。
私の仕事をする時間も含め「誰かの好きを楽しむ時間を創る」モノづくりを意識しています。
独立して好きなイラストや版権アニメ商品のデザインに携わり、より強くこう思うようになりました。
今後こういったものを目指しています
- インターネットを使った活動の継続・拡大
- 街中を彩るポスターや広告イラストを担当したい
- 企画に入り込んだ、3~5人まとめてのキャラクターデザイン
- アニメソングや声優さんに関わる仕事
- 年数回は東京や他の地域に仕事で行きたい(コロナ収束後になりそうですが…)
これらを叶えるのに相応しいレベルになるように日々自分を磨いていきます。
思ってもみなかった依頼が新たな発見につながる事もあるので、これ以外のお仕事のご相談ももちろん受け付けています。
会員
受賞
講演
- イラストレーターユニット 柿間久留乃プロダクション 主催
- コワーキングスペースSHINCRU クリエイター向けイベント登壇
- 株式会社オタクラウド主催 クリエイター向け勉強会&交流会
- 大阪成蹊大学 講演
- フリーランスイラストレーターお仕事セミナー(2017-2018)
- バンタンゲームアカデミー 非常勤講師(2016-2017)
SNSなど
作品や仕事や推しについて呟き。
仕事や活動報告。更新遅め。
仕事やサンプル投稿。更新遅め。
クリエイター向け情報がメイン。
作品やファンアートなど。
たまに映像コンテンツを配信。